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東京地方裁判所 平成4年(ワ)19935号 判決

原告

河本泰治

ほか一名

被告

東日本旅客鉄道株式会社

ほか一名

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実及び理由

第一原告らの請求

被告らは、各自、原告河本泰治及び同河本紘子に対し、それぞれ三五〇〇万円及びこれらの各金員に対する平成三年一〇月一〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、被告東日本旅客鉄道株式会社(以下「被告会社」という。)の所有する駅構内のホームにおいて、原告らの子である河本玲司(以下「玲司」という。)が電車とホームとの間に巻き込まれて死亡した事故につき、原告らが、被告会社に対しては民法七一七条、七一五条一項、商法五九〇条一項に基づき、右電車の車掌であつた被告今村昶夫(以下「被告今村」という。)に対しては民法七〇九条に基づきそれぞれ損害賠償請求(被告らに対する五三一〇万七六七八円の損害賠償請求権の内金三五〇〇万円の一部請求)した事件である。

一  争いのない事実等

1  本件事故の発生

玲司は、平成三年一〇月一〇日午前六時四二分ころ、東京都杉並区阿佐ケ谷南三丁目三六番一所在のJR東日本中央・総武線の阿佐ケ谷駅(以下「本件駅」という。)構内の上り二番線ホーム(新宿方面に向かう電車が停止するホームである。以下「本件ホーム」という。)において、玲司は、被告今村が車掌をしていた立川発千葉行きの上り電車(六二〇B。以下「本件電車」という。)と本件ホームとの間に巻き込まれて頭蓋内損傷により(死因は甲一により認定)死亡した(以下「本件事故」という。)。

2  当事者の身分関係

原告らは、玲司(本件事故当時二〇歳。昭和四六年三月二一日生)の両親である。

被告会社は鉄道施設である本件駅を所有しており、被告今村は被告会社の車掌業務に従事する社員である。

3  本件ホームの形状と映像施設

本件ホームはS字状にカーブしており、同ホームには、同ホームに停止する車両のドア付近の状況を撮影する三台のモニターカメラ(以下「本件カメラ」という。)が設置されていた。その映像は、立川寄りの電車最後部車掌室付近のホーム上に設置された三台のモニターテレビ(以下「本件テレビ」という。)に映し出され、その映像は、電車が発車した後もしばらくの間消えない構造となつており、車掌は、発車する前はもちろん、発車した後本件テレビの設置されたホーム付近を通過する一、二秒の間は、車掌室から右映像を視認することができる。

4  本件事故当時の本件ホームの状況

本件事故当時、本件ホームには、乗客の安全確保を目的とした本件駅の駅員は配置されていなかつた。

本件事故後、玲司は、新宿寄りの本件ホームと改札口とを繋げる階段(以下「新宿側階段」という。)を昇つたところからさらに新宿寄りに向かつた本件ホーム下の線路脇に転落していた。

二  争点

1  本件事故の態様

(一) 原告らの主張

玲司は、新宿側階段を昇り、そこから近い車両のドアから本件電車に乗車しようとしたところ、直前にドアが閉まり、また、天候が雨であり本件ホームが濡れていたために足を滑らせ、右足が車両の本体部分(以下「車両部」という。)とホームとの間の隙間にはまり込んでしまつた。

しかるに、電車が動き出したために、玲司は、走行する電車とホームとの間に挟まれて死亡するに至つた。

したがつて、玲司が本件ホームの外側に落ちたのは車両部とホームとの間の隙間であり、そのとき、電車は発車する直前であつた。

(二) 被告らの主張

玲司は、走行中の電車の、車両と車両とを繋ぐ連結部分(以下「連結部」という。)とホームとの間に落ちたものの、体全体が線路上に落ち切る前に後続の車両部とホームとの間に玲司の首が巻き込まれ、玲司の首から上が挟まれた状態になつたものである。

したがつて、玲司が本件ホームの外側に落ちたのは連結部とホームとの間の隙間であり、そのとき、電車は走行中であつた。

2  本件ホームの設置、保存の瑕疵等

(一) 原告らの主張

(1) 本件ホームはS字状にカーブしているために、本件電車の車掌室からは前方車両とホームの状況を直接視認することのできない死角がある。死角がある以上、当然駅員を配置して車掌の安全確認を補助すべきであつたにもかかわらず、これを怠つた。

仮に、本件テレビにより、右死角について、車掌が監視できたとしても、本件ホームの遠方で乗降客に突発的に事故が起こつた場合、車掌のみでは対処できないから、ホームの危険箇所に駅員を配置しておく義務があるのに、これを怠つた。

(2) また、車掌室から見える本件テレビの設置場所が不適切である上、被告会社には、車掌がドアを閉める前と後に本件テレビの再確認を徹底する等安全確保のためのマニユアルを作成していないという不備がある。

(二) 被告会社の主張

(1) 車掌室付近からは本件電車の先頭から三両目の車両までは直接視認することができる。また、本件ホーム上には本件カメラ及び同テレビが設置されており、これらを併用することによつて、車掌は先頭車両までのホームの状況を確認することができ、死角は存在しないから、本件ホームにおける電車の出発時の安全確認は、車掌限りで十分対応できる体制になつている。

(2) また、駅員は、一人一人の旅客の行動を監視しているわけではないから、駅員が旅客の行動を止める等により事前に事故を回避することは困難であり、まして本件事故のように瞬時に転落したような場合、その事故の回避は不可能である。

(3) さらに、駅員は、玲司の事故を発見しても、走行中の電車を直接停止させるための非常停止手段をもつていない。駅員が緊急に列車を停止させる必要がある場合、駅のホームに数カ所設置されている緊急警報装置を扱い、車掌及び運転士に事故を知らせ、右警報により運転士又は車掌が非常停止装置を取るという手順になるので、駅員が事故を発見してから非常ブレーキをかけるまでには、ある程度の時間がかかることは避けられず、その時間は、本件において、被告今村が異常を発見して非常ブレーキをかけるまでよりも、時間を要すると推測されるのであつて、玲司の事故の結果については、被告会社が本件ホームに駅員を配置していたとしてもこれを回避することはできなかつた。

3  被告今村の過失

(一) 原告らの主張

被告今村は、玲司が本件電車に乗車しようとしたにもかかわらず、本件テレビを確認せずにドアを閉めた。また、ドアを閉めた直後や発車直後にも本件テレビの映像を通して本件ホームの状況を確認することを怠つた。

(二) 被告らの主張

被告今村は、ドアを閉める直前に、本件電車の乗客の乗降が終了しているか否かを確認するために、本件ホームの状況を車掌室から直接視認し、直接視認できない範囲は本件テレビで確認した。

また、被告今村は、ドアを閉めた直後、本件電車が発車してから二、三メートル走行するまでの間も、本件テレビ等によつて本件ホームの前方の状況を注視していた。

4  原告らの損害

原告らの主張は次のとおりである。

(一) 玲司の逸失利益は、平成二年度賃金センサス男子労働者学歴計・全年齢の平均賃金五〇六万八六〇〇円を基礎に算定すると、七六二一万五三七五円となる。

(二) 玲司の慰謝料は六〇〇万円が相当である。

(三) 玲司のために原告らが費消した葬儀費用、交通費等は各一〇〇万円である。

(四) 原告らの固有の慰謝料は各九〇〇万円が相当である。

(五) 本件事故と相当因果関係のある弁護士費用としては各二〇〇万円が相当である。

第三当裁判所の判断

一  争点1(本件事故の態様)

1  前記争いのない事実、甲五、九の1、一〇の1、一二の1ないし13、一五の1ないし10、一八、二二の1、乙二、三、五、被告今村、証人桜井幸雄(以下「桜井」という。)、弁論の全趣旨によれば、以下の事実を認めることができる。

(一)(本件ホーム及び本件電車の状況)

(1) 本件ホームは、中央部から立川寄りにかけて凹曲し、中央部から新宿寄りにかけて凸曲するS字状になつており、本件ホームに停車した電車の車掌室から車両部と本件ホームの状況を全て直接視認することができない。したがつて、本件ホームには、車掌が車両前方の安全を確認することができるように、本件カメラが三台及び同カメラが撮影する映像を映し出す本件テレビが三台設置されており、上り電車が本件ホームの所定の位置に停止した場合における先頭車両(以下「停止車両一両目」といい、二両目以下の車両も同様にいう。)ないし三両目、停止車両四両目及び同五両目並びに同六両目及び同七両目の各車両部と本件ホームとの状況を映像によつて車掌に伝える仕組みになつている。

新宿側階段を昇つた地点は、停止車両三両目の前から二番目と三番目の各ドアの間のほぼ中央付近に位置する。

(2) 本件電車は一〇両編成で車両部と連結部とからなつている。本件ホームと停止する電車との間には隙間が存在し、その隙間には車両部との隙間(以下「車両部隙間」という。)と連結部との隙間(以下「連結部隙間」という。)とがある。そして停止車両三両目付近の車両部隙間については、車両の中程のそれは一五センチメートル程度であるのに比し、前記のとおり、同付近では本件ホームが凸曲していることから、停止車両の両端付近は、右よりも広くなつている。連結部隙間はこれらに比べてかなりの程度の広い空間となつている。

(3) 本件ホームは、本件事故前日からの降雨によつて濡れた状態であつた。なお、本件事故後に新宿側階段から新宿寄りに二、三メートルの所にタバコが落ちていた。

(二)(本件事故直前までの玲司の行動)

玲司は、阿佐ケ谷駅から徒歩五分程度の距離にある、杉並区阿佐ケ谷南二―二〇―六所在の飲食店であるスナツク山路(以下「山路」という。)に一人で訪れ、遅くとも平成三年一〇月九日午後一一時ころから翌一〇日午前六時ころまでの間、ビール中瓶四本、チユウハイ一杯、秋刀魚焼き一本、ニラのおひたしその他一品を注文して飲食したり、山路にいた他の客らと話をしたりする等して過ごした。玲司は、同日午前六時ころに会計を済ませ、新宿方面に向かうために山路を出、本件駅に向かつた。玲司は、本件駅で乗車券を購入して浜中純一が勤務していた改札口を通り、本件ホームの新宿方面に出るために新宿側階段を昇つて本件ホームに出た。

(三)(被告今村が本件事故を発見したときの状況)

本件電車は、被告今村がドアを閉めてから二、三秒程度経過してから発進した。

被告今村は、本件電車が発進した後、車掌室の窓から顔を出して前方を注視していたところ、約八〇メートル程度進行した地点(本件ホーム中ほどにある売店に差しかかつた地点で、停止車両七両目の前付近)で、新宿側階段の付近に傘のようなものが本件ホームと本件電車との間に挟まつてクルクル回つているのを発見した。被告今村はすぐに非常ブレーキである電磁弁を引いたものの、本件電車はすぐには止まらずそのまま進行した。被告今村は、約一二〇メートル程度進行した地点(本件ホーム中ほど事務室を通過した地点で、停止車両四両目の中央部の後よりの付近)で挟まれているのが人であると分かり、そのまま回転する姿を上から見ながら通過し、本件電車は本件ホームの新宿側先端から五〇メートルほど進行してようやく停止した。玲司が倒れていた場所は、停止車両二両目の前部から中央部寄りの付近であり、右場所と、被告今村が玲司を最初に発見したときの玲司の位置との間は、概ね一車両程度の距離、約二〇メートルである。

玲司が回転していたときの状況は、首から下が本件ホームの下に隠れ、黒つぽい厚手のシヤツ(以下「黒シヤツ」という。)がはだけていたために、頭と黒シヤツが一緒に回つており、被告今村には、あたかも傘が回転しているように見えた。

2(玲司が本件電車と本件ホームとの間に落ちたときの態様)

(一) 前記認定のとおり、玲司は本件電車と本件ホームとの間に巻き込まれて首から下が本件ホームと本件電車との間に挟まれた状態で回転していたが、玲司がいかなる態様で本件ホームの外側に落ち、右事態に至つたかが問題となる。

この点、被告今村は、「本件事故があつたときも、本件電車が所定の位置に停止したことを確認した後、乗客用の扉を開けた。その後、車掌室の扉を開けて一歩外に出、車両の側灯が点いていることを確認し、また、本件ホームの前の乗客の状況を視認するとともに本件テレビも確認した。それから一番ホームとの中間にある発車ベルの方に歩み寄り、ホーム前方の全体の状況を確認しながら、これを約六秒鳴らし、やや前方に進みながら、本件ホームの安全を確認し、かつ、レピーター(二番線の前方にある信号と連動している出発反応標示灯のことで、これにより、車掌も前方の信号の色を確認し得る。)の状況を確認し、車掌室に戻つた。車掌室に戻つてからは、片足を本件ホームに残し、他の一方を車掌室に入れたままで、本件ホームの前方の安全を本件テレビにより、後方の安全を直接の視認によりそれぞれ確認し、乗客がいないことを確認して、乗客用扉を閉め、車両の側灯が消えたことを確認した。その後、二、三秒経つてから本件電車が発進したが、このときは、車掌室の扉を開け、身体の半分をホームに出したまま、片足で握り棒を持ち、前方を注視し、さらに本件テレビでも前方を確認したが、人影は認められなかつた。その後もなお、前方を注視していたところ、停止車両七両目の前付近で、新宿側階段付近の異常を発見した。なお、本件電車が発進し、約三メートル進行するまでの間は、本件テレビを見ることが可能である。」と供述し、少なくとも、本件電車が発進し約三メートル進行するまでは、玲司は本件電車と本件ホームとの間に挟まれなかつたとする。

(二) そこで、玲司がいかなる時点でどのようにして挟まれることとなつた可能性が高いかを情況証拠に照らして検討することにより、右供述が信用し得るかどうかを見ることとする。

(1)(本件電車が停止していたときに、玲司が車両部隙間に落ちる可能性について)

ア 本件電車が停止した状態にあるときに、玲司の足が車両部隙間にはまり込む可能性は十分考えられる。しかしながら、この場合は、玲司が新宿側階段を昇り、停止車両三両目の前から二番目又は三番目の扉を目指すこととなると考えられることからすると、車両部隙間の大きさは一五センチメートル程度となり、この点からすると、玲司の片足(原告らは右足と主張する。)だけが大腿部付近まではまり込んだとしても、玲司のもう一方の足は本件ホーム上にあり、また上体も車両部隙間の真上付近か又は本件ホーム側に残り、いわば引っ掛かつた状態にあることから、片足だけが挟まつた状態にある玲司の上体は、本件電車が発車することによつて本件ホーム上を本件電車に引きずられたり、又は、本件電車の車両に擦られたりしながら、勢いよく進行してくる後続車両の角の部分と衝突して本件ホーム側に弾き飛ばされるか、又は、はまり込んだ片足だけが後続車両の角の部分と衝突して本件ホーム側に押し上げられるかのいずれかとなる可能性が高く、玲司の体全体が本件ホームの下に落ちていく可能性は低いと考えられる。

イ なお、車両部隙間が車両の前後で広がつていることから、玲司は、本件電車の停止中に、車両部隙間の後ろ部分にはまり込み、本件電車の発進によつて徐々に広がる隙間や連結部隙間に体が巻き込まれて落ちていくことも考え得るところであるが、前記認定のとおり、新宿側階段を昇つた地点が停止車両三両目中央部付近であること、車両の長さは約二〇メートルであること、本件電車のドアが閉まつてから発車するまでの時間が二、三秒であることからすると、玲司は、本件電車の停止中に二両目又は三両目の車両の後部に至る前に、余裕をもつて安全に本件電車に乗車している可能性が高く、したがつて、玲司が本件電車の停車中に車両部隙間の後ろ部分からはまり込んだ可能性は低いと考えられる。

ウ 玲司の両足が車両部隙間に同時にはまり込んだ場合には、玲司の大腿部付近までが車両部隙間に落ちるため、体の重心が本件ホームの外側に移動し、本件電車が発車した後進行してくる連結部隙間に差しかかつたときに、玲司の上体は後続車両に衝突しながら本件ホーム下の線路敷に落ちていくか、又は、線路敷に落ちていく途中で後続車両と本件ホームとの隙間に玲司の体の幅の狭い部分が巻き込まれていくかのいずれかとなることが考えられる。したがつて、玲司が本件ホームと本件電車との間に落ちたときの状況が前記の態様である可能性も一応考えられるところである。

しかしながら、玲司が、両足を交互に踏み出して歩行するという最も自然な歩行方法で歩いていたとすれば、およそ両足がそのような状態になるとは考えられないこと、玲司は身長一七二センチメートルで本件事故当時ジーンズと靴をはいており(甲五、乙一七、被告今村、原告河本泰治)、例えば和服を着て草履をはいた女性が極端に狭い歩幅で歩いていた場合のように、両足がそろうような状態は考えられないこと、仮に本件ホームが雨で濡れていたために玲司が転んだとしても、本件ホーム上で滑らせた玲司の両足が、本件ホームと本件車両との間の狭い空間を地面にほぼ垂直状(真下)に落ちていくとは考えにくいことからすると、本件電車が停止中に玲司の両足が車両部隙間にはまり込むことによつて玲司が本件ホームの下に落ちた可能性は極めて低いものといわざるを得ない。

(2)(本件電車が停止していたときに、玲司が連結部隙間に落ちる可能性について)

前記認定のとおり、連結部隙間が相当広い空間であることからすると、玲司が直接連結部隙間にはまり込んだ場合には、体全体がそのまま本件ホーム下に落ちてしまうから、玲司が本件ホームと本件電車との間に挟まれたままの状態が続くことは考えられず、本件電車の停止中に玲司が連結部隙間に落ちたと認めることは困難である。

(3)(本件電車が発進後加速中に、玲司が車両部隙間に落ちる可能性について)

車両部隙間は、人体がはまり込むにはかなり狭い空間であると認められることからすると、人体(特に足)が車両部隙間から本件ホームの下にはまり込むためには人体が地面にほぼ垂直状(真下)に落ちて行かなければならないところ、本件電車が発進後加速している場合には、玲司の足が車両部隙間にはまり込む前又はほぼ同時に、玲司の上体が走行する車両に接触又は衝突するため、玲司は、本件電車の勢いを体に受けて本件ホーム側に弾き飛ばされる可能性が高いと考えられる。

もっとも、乙一七によれば、玲司の左大腿近位部に離断骨折があること及び左右足間接部に異常可動性が認められること、及び前記のとおり車両の両端部においては車両部隙間が車両中央部に比してやや広いことから、進行中の本件電車の前から三番目の車両の後部等と本件ホームとの間にはまり込んだ可能性は一応考えられるところである。

(4)(本件電車が発進後加速中に、玲司が連結部隙間に落ちる可能性について)

連結部隙間の空間の大きさを勘案すれば、本件電車が発進加速後間もない場合には、玲司の体が後続車両に衝突する前に連結部隙間の空間に入り込むことは十分考えられる。そして、玲司の体は、後続車両に衝突しながら本件ホーム下の線路敷に落ちていくか、又は、後続車両の車両部隙間に玲司の体の幅の狭い部分が巻き込まれていくかのいずれかとなる可能性が高い。

右各検討結果に、玲司の首が本件電車と本件ホームとの間に挟まつた状態で回転していたことを総合すると、玲司が本件ホームと本件電車との間に落ちたときには、本件電車は発進後加速中であつたと考えるのが最も合理的である。

このように、玲司が本件電車発進後、前から三両目の後部等の車両の端部における車両部隙間又は連結部隙間に落ちたとすれば、玲司は、走行する電車に近づくという健常な意識を有する通常人であればおよそ考えられないような行為をしたことになるが、前記認定事実によれば、玲司は一晩中一睡もすることなく、飲酒飲食又は他の客らと話を交わす等して過ごしていることからすると、玲司は本件事故当時、必ずしも泥酔状態にあつたと推認することはできないものの、睡眠不足やそれからくる疲労、飲酒等の影響により玲司の周囲の物事に対する認知能力、判断能力はいずれも健常人のそれらに比べて相当程度鈍麻していたと推認することができるから、玲司が前記の態様によつて本件ホームの外側に落ちたとしても、あながち不合理であるとはいえない。

したがつて、本件に顕れた情況証拠からすれば、玲司は、本件電車が発進後加速中に本件ホームの下に落ちたために、後続する車両と本件ホームとの間に首を挟まれて本件事故に遭遇するに至つたと推認することが相当である。

(三) 以上の検討の結果と被告今村の前記供述は合致することは明らかである。また、本件ホームの前記形状に照らせば、被告今村は、車掌室から新宿側階段付近の情況を視認できるのは、本件電車が停止位置から三両分程度走行した後であると推認し得るところ、前記認定のとおり、被告今村は丁度そのころ新宿側階段付近の異常を発見していて、この点の供述も客観的証拠と合致するものであり、これらを総合すると、同供述は、十分に採用し得るということができる。そうすると、玲司は本件電車が発進し約三メートル進行してから、三両分程度進行するまでの間に本件電車と本件ホームとの間に挟まれたものと認めるのが相当である。

3(玲司が本件ホームから下に落ちた箇所について)

甲一二の2、乙二、被告今村によれば、新宿側階段を昇つた地点が停止車両三両目の前から二番目ドアと三番目ドアの間であること、被告今村が回転している玲司を発見したのは新宿側階段付近であつたこと、玲司が倒れていたのは停止車両二両目の中央付近であつたことが認められ、以上の事実と前記認定事実に照らしてみれば、玲司は、新宿側階段を昇つたところ付近において、本件ホームの下に落ちたものと推認することができる。

もっとも、前記の検討に照らせば、本件電車との関係で、車両部隙間から落ちたものか、連結部隙間から落ちたものかを確定することは困難である。

二  争点2(本件ホームの設置、保存の瑕疵等)について

1  原告らは、本件ホームがS字状で死角があるのに、被告会社は、これを補うために駅員を配置せず、また、モニターテレビ、カメラを不適切な場所に設置した旨主張するが、前記争いのない事実のほか、甲一二の8、10ないし13、甲一五の1ないし6、9、10、乙二によれば、本件ホームはS字状であるため、車掌が停止車両及び本件ホーム全体の状況を全て直接視認することは困難ではあるものの、本件カメラが、一両目から同七両目付近に至るまでの停止車両と本件ホームの状況を撮影して本件テレビに映像を送り、車掌は、これを見ることによつて停止車両及び本件ホーム全体の状況を把握することが可能となるのであるから、原告らの右主張は、その前提において理由がなく失当である。

なお、本件ホームにおいては、電車が三メートル程度進行した後は、車掌が本件カメラを見ることができなくなるから、車掌が直接視認することができない本件ホームの部分において、本件のように乗客が電車に近づき、接触する等の事故が発生した場合、車掌が事故の状況を目撃できず、事故を直接目撃できる本件ホームの位置に駅員がいる場合に比べ、事故の発見が数秒程度遅れる場合があり得ることが窺われるが、本件ホームには、黄線により危険区域を明示してあるのであり(甲一二の1ないし13)、ラツシユアワーで乗客がホーム上に膨れ上がり、黄線をはみ出して歩行する乗客が多く見られるような場合はさておき、被告会社が、電車が発進後走行中に電車に近づくような行動をとる乗客を想定して、右のような乗客の起こす事故を監視するため駅員を配置する義務があるとまでは解されず、本件事故が発生した祭日の早朝の本件ホームにおいて、右のような監視のための駅員を配置しておくべき特段の事情も認められないから、被告会社に、本件ホームの右箇所に駅員を配置しておくべき義務があつたと認めることはできない。

2(一)  また、原告らは、車掌がドアの開閉前後に本件テレビの再確認を徹底する等の安全確保のためのマニユアルを作成していないから、被告会社には車掌に対する安全確認教育上の不備がある旨主張する。

この点は、既に認定判断のとおり、被告今村は、本件テレビの確認をしたことは認められるところであるが、念のため検討すると、次のとおりである。

(二)  乙一、七、一〇、一一、被告今村によれば、車掌がホーム上にいる旅客の安全確保のために電車のドアを開閉する前後に行うべき措置としては、〈1〉電車の到着時においては、電車の先頭がホーム先端にさしかかる付近から車掌室の窓から顔を出し、ホーム旅客の状態及び列車の状態に注意すること、電車が所定の停止位置に停車したことを確認すること、ドアを開けた際には側灯が点灯し、ドアの完全開扉を確認すること、〈2〉電車の発車時においては、ドアを閉めるに先立つて発車ベルを鳴らし、信号を確認すること、ドアを閉めるときには旅客の乗降状況をITV等でしつかり確認し、ドアを閉めた後は車両の側灯が消えたことを指差喚呼し、自分の足元の安全を確認し、旅客の状態に注意すること、〈3〉電車が起動を開始した際にはホームの旅客の動向に注意を払い、危険を感じたら直ちに停止手配をとれるように非常引スイツチに手を添えておき、約一車両程度進むまで特に前方の状態を注視すること、ホーム末端を過ぎた頃、後方に異常のないことを確認して喚呼することが定められており、いずれも被告会社は、マニユアルにより車掌職務を担当する職員に教育していることが認められるが、他方、被告会社は、必ずしも、ドアの閉扉の直後にモニターテレビを確認して旅客の安全状況を確認することまでもマニユアルによつて明示しているわけではないことが認められる。

(三)  しかしながら、被告会社が車掌職務を担当する職員に対してドアを閉扉する前後における乗客の乗降状況の確認するように強調していることは前記認定のとおりであり、そのための手段として車掌が直接視認するか、本件テレビのようなAV装置を使用して確認するかは、駅の形状、乗客の数、時間帯等によつて一律には決められず、被告会社が、車掌がドア閉扉直後にホーム上の旅客の乗降状況を確認するための具体的手段として本件テレビを再確認することを、マニユアルに明示して義務付けていないことをもつて、直ちに、被告会社による車掌に対する安全確認教育が不十分であるということはできない。

よつて、原告らの右主張には理由がない。

二  争点3(被告今村の過失)について

1  原告らは、本件事故の原因として、被告今村が、ドアを閉める前、直後、発車直後の各時点で本件テレビの映像を通して本件ホームの状況を確認することを怠つた旨主張する。

2  しかしながら、前記認定事実によれば、被告今村は、原告ら主張の各時点で本件ホームの状況を確認しており、また、本件電車が発進してその車掌室が本件テレビを通り過ぎてから玲司が落ちたのであつて、被告今村が本件カメラによつて本件ホームの状況を確認できないことは明らかであるから、原告らの右主張は、その前提において理由がない。

四  結論

以上のとおり、被告会社による本件駅の設置、保存に瑕疵が認められず、また、被告今村が、本件電車が本件駅に到着してから発車した後に至る過程において車掌の職責である安全確認義務を尽くしていたことが認められるから、その余の点を検討するまでもなく、原告らの請求には理由がない。

(裁判官 南敏文 生野考司 渡邉和義)

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